震災で再確認した地元愛
星が輝く釜石へリターン
Uターン
鵜住居エリア
川崎杏樹さん
Kawasaki Aki
釜石の未来に向かって、
やりがいと、誇りを持って働く
高校卒業後、市外に進学、その後就職した川崎杏樹さん。「釜石の役に立ちたい」その思いが消えることはなく、仕事を辞めUターンを決意。現在は「いのちをつなぐ未来館」に勤め、施設の案内や当時の避難経路を歩くツアーガイドを行っている。「いのちをつなぐ未来館」は、東日本大震災の出来事を記録し、後世に伝えていく伝承施設。「わざわざここを目的地に来てくれる人もいる、」と仕事の重みをかみしめる。
振り返ると、地元への思いを募らせていくきっかけは東日本大震災だった。当時は中学生で、海沿いの学校から小中学生が高台に一斉に避難し助かった“釜石の出来事”の当事者だ。「震災を乗り越えるために、地元と向き合う必要があった」釜石で暮らす時間と比例して「いつか自分も、」という思いは増していった。大学を卒業して、就職していた2019年の夏。ガイドの手伝いの依頼が舞い込んだ。この依頼が「いのちをつなぐ未来館」で働くことを決意するきっかけになった。
「経験に基づく話はリアルだった」自身の経験談から、釜石のあの時を知り、想いを寄せる人がひとり、またひとりと増える。どんな防災意識を持つべきか、訴えかけることができる。あの震災の教訓を後世に伝えていく仕事にやりがいと誇りを持っている。ガイドの仕事だけではなく、星空観察会なども行う川崎さん。「釜石の役に立ちたい思いを行動で実現していきたい」にこやかに語ってくれた。
職場である「いのちをつなぐ未来館」でガイドする川崎さん。成長して目の前で経験を語る川崎さん自身が、奇跡の物語に感じられる
ここにしかない、
かけがえのない暮らし
Uターン後は父母兄と4人暮らし。仕事の日は、母がお弁当を作ってくれている。家族とのあたたかい暮らしを送っている。「車があると暮らしやすい場所です」と語る川崎さん。休日には、友だちを連れてドライブへ行く。三陸沿岸のドライブは海を横目に走り、気持ちが良い。
海も山も身近に感じる、自然があたりまえの地元。川崎さんは仕事帰りに、スタジアムのバックスタンドで星空をよく眺める。街の灯りは闇夜にはかなわず、近くに流れる鵜住居川の水面のかすかな動きと、心地よい風が山々を揺らすせせらぎが聞こえる。自然のあたりまえが、尊いひと時を与えてくれる。生まれ育った鵜住居は空気が澄んでいて、昔から星がきれいに見える場所。秋から冬は星空のシーズンだ。
川崎さんは小さいころから外山鹿踊を踊っていた。今も第4日曜日は練習で、獅子と対となる刀振りを踊っている。踊りが好きで、大学時代も祭りに参加するためだけに帰ることもあった。「迫力ある舞が特徴で、舞が大きいので誰が見ても楽しめると思います」。
鵜住居に生まれ、地元に根深くつながって育ち、今がある。かけがえのない暮らしを大切にしながら、川崎さんのトライが地元の未来につながっていく。
屋外でガイドすることもある
月1回の外山鹿踊の練習をかかさず、今も大好きな舞を踊る。