小さい頃からの夢を叶えながら
家族で楽しむUターン生活
Uターン
西部エリア
菊池蛍汰さん 志帆さん
Kikuchi KeitaKikuchi Shiho
「目に見える仕事」で
地元に貢献
釜石市出身の菊池蛍汰さんは高校卒業後、千葉県にある製鉄所で働き始めた。会社では「灼熱地獄」と表現するほどの暑さの中、三交代で鉄を作っていた。入社から12年が経ち、結婚・子育ては釜石でしたいと考え、地元に戻ることを決意。東京で開催された「かまいし就職準備フェア」に参加したところ、釜石の建設会社「(株)青紀土木」の青木健一社長と出会った。初対面の印象を「ちょっと怖い人だなと思いました(笑)」と振り返るが、社長とのやりとりを重ね、(株)青紀土木への入社を決めた。入社後は地元の水門を作る仕事に関わった。前職では「作った鉄が何になるのか分からなかった」が、今の職場では「0から100になるまでが見える」。建設現場を通りかかった近所の人から「この場所どうなるの?」と質問され、説明しているときに嬉しさを感じたという。入社から約1年が経ち、現在は「重機のオペレーターになりたい」という小さい頃の夢を叶え、現場でバックホーを操縦し始めた。「会社の利益を考えれば、熟練の人が大きい重機で作業した方が効率がいいのに、自分にやらせて、経験させてくれてるんです。夢を叶えてやると思いながらやっていますが、今が一番切羽詰まってます」と申し訳なさそうな蛍汰さんに、「気にせずやってみればいいんだよ。周りの人たちがサポートするから」と青木社長はあたたかくエールを送った。
地域や働く人を大切にする青木社長(左)と、その教育重視な姿勢に感謝していると語る菊池さん(右)
会社では地域の子どもたちへの体験会を開催。重機のアートラッピングは、障害者アートを扱う会社「ヘラルボニー」とのコラボで生まれた。
釜石で楽しむ家族の暮らし
蛍汰さんは移住直前に、同じく千葉で働いていた志帆さん(北上市出身)と結婚。結婚したら「釜石に住む」と決めていたため、夫婦で釜石にUターンすることとなった。その後志帆さんは地元・北上で出産。かつて蛍汰さんの祖父母の家があった場所に新たな家を建てて、家族3人での暮らしが始まった。日中は志帆さんが子どもの世話をすることが多い。初めての子育てを慣れない釜石で始めたが、時には両親に子どもの面倒を見てもらう時間をつくったり、「もぐもぐごっくん教室(離乳食教室)」や子育て支援センターなどの市の育児支援制度を活用したりしながら、子育てに取り組んでいる。「お母さん向けのエクササイズも受けられることもあるので、行くとリラックスできます」と志帆さん。また、散歩していると「近所の方が話しかけてくれてありがたいです」とも語った。蛍汰さんは釜石での暮らしについて、「都会に比べたら入ってくるお金も少ないですが、出ていくお金も少ないです。だから生活していけますよ」と笑顔を見せた。「みんな親身になって考えてくれる」という釜石の人たちに見守られながら、故郷の未来を作る仕事にトライしていく。
釜石は道路沿いにお店があって便利と語る