この記事を書いた人
移住コーディネーター
プロフィール
手塚 さや香
さいたま市出身で、東京や大阪、盛岡で働いたあと、東日本大震災後に 釜石リージョナルコーディネーター〜釜援隊〜 という復興支援の組織で活動するために2014年秋に釜石に移住しました。
2024.7.2
展示期間が終わってしまってからの記事になってしまいましたが、
釜石にあるtettoで開催されていた「釜石新聞News」展を観てきました。
釜石新聞は、震災から10年の2021年まで紙で発行され、
その後はwebに形を変えて、
釜石の日常を伝えている媒体です。
この展示は、
tettoやお隣の情報交流センターを運営する
釜石まちづくり会社の設立10周年を記念して開かれたもの。
懐かしの釜石新聞を拡大したパネルやwebを彩った写真が並んでいました。
実は私は終刊までの何年間か1面のコラム「足音」を書かせてもらっており、
編集長として尽力された川向さんには何度もお話を聴かせてもらっていたというご縁があります。
終刊に際して川向編集長が書いたコラムや
すでに鬼籍に入った方の書かれたコラムなどを読みながら、
色々なことを思い出して、
ちょっと涙腺が緩んでしまいました。
復興住宅の完成といった復興の歩みを伝える記事
ワールドカップや祭りの熱気を帯びた記事……
どの記事も釜石のその時その時の空気感を思い出しました。
こうやって何年先も釜石の歩みを追体験できる媒体を残してくれたことに
改めて感謝したいと思いましたし、
その思いを釜石まちづくり会社が引き継いでいることも
ありがたいなあと思います。
なんだかちょっとしんみりしましたね。
この投稿はvol.311 です。
釜石の復興や、能登の復興のことを思いつつ、
あらためて記録を残すことの意味を感じました。