自然が好きで、新しい挑戦が好き
そんな自分の居場所は釜石にあった
Uターン
東部エリア
久保晨也さん
Kubo Shinya
新しいチャレンジに満ちた釜石
尾崎白浜育ちの久保晨也さんが釜石の実家に戻ったのは2015年のことだ。高校を卒業してJR東日本に就職。誰もが知る会社を辞めて帰郷することに両親は反対したという。震災で改めて、今後のことを考え、初めて「釜石」に向き合った。「帰るたびに、支援で来た人に会ったり、釜石の新しい動きがおもしろそうだった」と振り返る。20代、30代の人たちが新しいプロジェクトに挑戦する姿に刺激を受けた。それが理由になった。家は牡蠣やわかめ養殖の漁師の家だが、帰郷して家を継ぐ意識はまったくなかった。自然が好きだということを改めて気づき、そんな仕事がないか考えていたところに体験観光を主催する「三陸ひとつなぎ自然学校」にたどり着いた。さらに地元尾崎の良さがわかり、人を呼びたい、みんなに知ってもらいたいと『尾崎100年学舎』を立ち上げて、ツアー企画など交流人口を増やす活動をしていた時期もある。「自分は飽きっぽいんで、なるべく好きなこと、興味あるエリアでやらないと続かないです」と自己分析する。それがいまは牡蠣になった。尾崎白浜の牡蠣をプッシュする久保さんは、現在牡蠣の卸売会社の営業マンだ。
尾崎白浜は、山と海に恵まれたエリア。小さい頃は潮だまりで磯遊びをしたり、テトラポットで釣りをした。
漁がある日は3時半に起きて、この船で、父親といっしょに養殖場へ向かう。
家業を継ぐ気はなかったが、いま関心があるのは牡蠣。
人のつながりが広がる
釜石のネットワーク
震災後、漁師の話を聞き、牡蠣に興味がわいた。そこで久保さんは午前中家業を手伝い、日中は県内を中心に牡蠣の営業活動をしている。以前は牡蠣の加工工場で仕事をしていたが、6月から東北エリアの営業担当になった。いまは県内中心で盛岡のセールスに通っている。地元のイベントで名刺をもらった盛岡の居酒屋店主(釜石出身)を頼って、牡蠣の営業になってまず会いにいった。会って二回目くらいで、車で案内してくれて仲間の料理人たちにつないでくれた。「いまじゃ毎週のように会ってますね」と釜石の「縁」というつながりのちからを語る。そのため移住を考える人たちにも「一回でもいいから、人の話を聞いたり、イベントに参加してきっかけを自分でつかむ。そうするといろいろな人につないでもらえる」とアドバイス。釜石はネットワークがしっかりしていて、一つのつながりが大きく広がっていくという。
最後に今後の夢を聞いてみた。久保さんは考えて「ちゃんと稼いでちゃんと遊べる大人になりたいですね」と答えた。高校生のころ、地元はおもしろく見えなかった。だからこそ釜石を楽しんでいる大人の姿を見せたいという。すでにその片鱗は十分。久保さんは自身の好奇心を大切にしながら、確かに「いま」を楽しんでいた。
新しいことが始まる釜石が楽しい。co-ba Kamaishiにて。