この記事を書いた人
移住コーディネーター
プロフィール
手塚 さや香
さいたま市出身で、東京や大阪、盛岡で働いたあと、東日本大震災後に 釜石リージョナルコーディネーター〜釜援隊〜 という復興支援の組織で活動するために2014年秋に釜石に移住しました。
2021.08.15
おばんでございます(岩手弁で「こんばんは」)。
今日は終戦の日でしたね。
ひきこもり生活の私は防災無線のサイレンとともにひとり黙祷しました。
釜石に住んで7回目の夏ですが、初めての夏に驚いたのは、2度の原爆忌や終戦の日になると、
防災無線からアナウンスがありその後にサイレンが流れることです。
ここまでは、防災無線のある地域共通かもしれませんが、
釜石の場合は、終戦の年の7月14日と8月9日の二度の「艦砲射撃」にもサイレンが流れます。
数年前、たまたま艦砲射撃の日にご高齢の方と一緒にお掃除をしていて、
当時の体験を語っていただいた、ということもありました。
戦後76年、太平洋戦争や艦砲射撃を体験した方が減ってきています。
一方で体験を後世に引き継いでいこうという取り組みもあります。
”釜石の生き字引”として知られていた故岩切潤さんの艦砲射撃体験記が今年、改めて復刊されました。
釜石は、東日本大震災の伝承にも力を入れている地域ですが、
震災だけでなく過去の体験から学び続けるまちでありたいと思った一日でした。
(長文、失礼しました)