
早稲田大学の授業を釜石から!
たのしく働く「2拠点」生活
Iターン
東部エリア
村田信之さん
Murata Nobuyuki
ラグビーから始まり深まる縁
早稲田大学の村田信之客員准教授(長崎県出身)は、親交のあった清宮克幸さん(現・日本ラグビーフットボール協会副会長)に誘われて、震災から間もない2011年5月に釜石を訪れた。学生の頃からラグビーをプレーしたり観戦したりすることが好きで、釜石のことも知っていた。想像はしていたものの、被災した釜石の姿を実際に見て、言葉を失った。時には大学の学生たちを連れて、釜石や大槌に足を運ぶようになった。「釜石では何の役にも立ってないんですよ。でも通っているうちに“友達”ができていく」と当時を振り返る。そうして「友達に会いに釜石へ」という時間を重ねる中で、新型コロナの感染拡大が始まった。大学の授業がオンラインでも行われるようになり、離婚して「ライフステージ」も変化。2020年の8月に釜石へ移住した。移住することを知った学生たちは驚いたそうだが、「学生たちも就職すれば全国転勤しますし、“人生どうにかなる”といういい事例になればいい」と明るく語った。


授業はリモートで行うこともある
釜石でもできる、東京の仕事
釜石移住後、オンライン授業を行う上での支障は特に感じなかったが、仕事内容によっては東京で行う必要もあるため、週4日を釜石で、3日を東京で過ごす「2拠点生活」を送っている。東京での仕事をやめずに暮らしの拠点だけを移す、すなわち「東京の仕事を持ってくる」という働き方だ。また、地方の暮らしでは車が必須だと思われがちだが、村田さんは車を持たずに暮らしている。バスと電車を乗り継いで移動することに不便は感じないそうだ。普段は大学の授業だけでなく「こすもす公園」の再建プロジェクトなど、釜石での付き合いからはじまった仕事に参加しているほか、釜石高校の生徒たちの探求学習の発表会に呼ばれて講評を担当するなど、仕事の幅も広がってきている。大学生たちと釜石を訪れていたときのスローガンは「明るく、楽しく、役に立つ」だった。まずは明るくいよう、その上で役に立つことを、とのメッセージが込められている。村田さんは生き生きと釜石の暮らしについて語りながら、今後は釜石で「何かお役に立てる仕事を」と願う。自ら声をかけながら、釜石の未来づくりにトライしていた。


釜石での暮らしの一コマ