
鶏口となるも牛後となるなかれ
やりたいことは釜石で作れる
Uターン
西部エリア
菊地広隆さん
Kikuchi Hirotaka
老舗の餅屋からコトづくりの会社へ
「餅キングという肩書で活動することもありますよ」と楽しそうに笑ったのは、釜石で続く和菓子屋「小島製菓」の代表取締役社長・菊地広隆さん。自らが広告塔となりながら、小島製菓のほかに「Kojima Cafe」というカフェも営んでいる。カフェはこだわりのパンやランチなどを提供している人気店で、店内はいつも賑わっている。小島製菓はもともとスーパーなどで餅菓子を販売している企業だったため「お客さんの反応が見えなかった」。「お客さんの顔が見えたほうがいい」という思いから、2014年にカフェをオープンした。カフェの運営は奥さんと二人三脚で進めており、「将来成功したら、その秘訣は妻、と言います」と語るほどに信頼を寄せている愛妻家。5歳と3歳の子どものパパでもあり、休みの日には家族で釣りを楽しむことも。そんな菊地さんは実はUターン組。しかも釜石→盛岡→横浜→カナダ→釜石と、移住歴を聞くだけでもかなりアクティブだ。


もちもちとしたお団子とふわふわのパンが大人気。パンダのキャラクターは奥さんが考えたもの。

店内はパンの良い香りと、楽しそうなお客さんで満たされている。
多様な経験を故郷・釜石で生かす
小島製菓の長男として生まれた菊地さんは、「いつかは家業を継がなければ」という思いを抱きながら高校進学を機に盛岡へ出た。「釜石が嫌で出ていった。輝くものが外にあった」と正直に振り返る。大学在学中に訪れたアメリカで、「和菓子はすごいよ、これから来る」と言われたことを機に「和菓子を世界に」という目標を持った。まずは営業経験を身に付けようと、横浜のフォルクスワーゲンで4年間勤務し退職。カナダ・トロントへ渡ろうとしたが、渡航直前に留学斡旋企業が倒産し旅行券が戻ってこないというハプニングに見舞われた。お金がない状態から始まった留学だったが、持ち前のコミュニケーション力で人脈を築き、現地で人材派遣事業の立ち上げに参加することとなった。「人材を育てることが面白い」と感じ、「いつか釜石の人材や若手をトロントに」とまで考えていた矢先、東日本大震災が発生。まもなく父親が病気になり、会社を支えるべく帰国した。「会社には自分が生まれたときから働いていた人たちもいたので、帰らなきゃダメだなと思った」という。帰国してすぐの2013年春、広島で開催された「菓子博」に出店した。そこで「大船渡つばき娘」として来ていた菜月さんに一目惚れ。2人は2014年に入籍した。大人になり帰ってきた釜石では、復興に携わる人たちをはじめとした「視野が広くて同じような感覚を持っている仲間」の存在に気がついた。「30歳ぐらいまでは揉まれに行った方がいいと思うんですよね。でもいつかは自分の原点に返った方が、人生面白いんじゃないかなと思います」と若い人にエールを送る。人材派遣事業で学んだことを生かし、子育てしながら働きたい女性たちを支える新事業も開始予定。「製造業でなくとも釜石で光っている企業になりたい」と掲げる菊地さんのトライは、まだ始まったばかりだ。

入籍記念に市役所前でジャンプ。同年の12月にカフェをオープンした。

工場では正月用の餅を生産中。長年会社を支えてきた社員の方と。

新事業の構想は子育て経験から始まった。