
インターンがきっかけで移住
釜石でいまビジネスに夢中
Iターン
東部エリア
山口俊貴さん
Yamaguchi Toshiki
大学生で出会った釜石へGO!
九州から釜石に来た移住者がいる。佐賀県出身の山口俊貴さんだ。移住の理由は就職だった。2018年2月、大学3年生のときにインターンシップに参加するため釜石入り。雪はあまり降らない釜石だが、その年は珍しく「どか雪」の年。生まれて初めて見た凍った水たまりが印象深く、「とにかく寒かった」と山口さんは振り返る。友人たちのインターン先は遠くても東京というなか、山口さんは知り合いからの紹介で釜石に決めた。東日本大震災からの復興をめざして、三陸に新しいビジネスモデルを構築しようと挑戦し続けていた企業、maruwa martだった。それが現在の勤め先でもある。ビジネスモデルの見直しを検討していた小澤伸之助代表と、朝から晩まで議論を交わし、濃厚な6週間を過ごした。ヘロヘロになるまで話して、結論として2,3まとまった案があり、小澤代表はだめもとで入社を打診した。結果、山口さんはもっといい条件で決まっていた東京の企業を辞退して、釜石に来た。自分が必要とされている、わくわくする道を選んだ。
「昭和の時代は名のある企業に就職すれば成功だったが、いまは違う」と小澤代表は時代の変化を感じている。むしろ大きな会社で歯車になるより、小さな会社でもいいから心臓になることに価値を見出す時代。そう考えたとき、釜石はうってうけの街だ。実際、山口さんも釜石の魅力を「挑戦する人が多くて刺激になる」と語った。
現在経営企画として担当しているのは、人気飲食店の弁当を提供するシェフズ弁当事業。入社当初は盛岡にある駅ビル店の事業展開を進め、現在は釜石で新しいビジネスモデルへの転換を図りながら、自ら弁当製造現場に立つ。現場に入って見えてくることも多いという。いまや朝が早いのもあまり苦にならない。

インターンをきっかけに入社。釜石で食のビジネスモデルを模索中。

7つの会社を経営する社長は、「ベンチャー・フォー・ジャパン」を活用し、山口さんの成長を期待している。

シェフズ弁当の盛岡での展開が入社1年目の仕事だった。配達まで担当していた。
環境として釜石は住みやすい街
山口さんは新卒社会人ながら、経営企画に携わるため時間のほとんどをビジネスに費やしている。帰宅後も、読書とビジネスに必要になると思って始めたプログラミングの勉強。休日は、平日の疲労回復に充てている。
若者にとって、釜石生活に不満はないのかとたずねると「ぼくの九州の地元のほうが田舎なので、ぜんぜん苦労はありません。コンビニもあるし、お店も多いと感じますし、ネットも普及してるので、遊ぶところがないなという不満を持ったこともない」と山口さんはよどみなく答えた。ちなみに山口さんの趣味は、ギターとアニメ。特に三国志がベースの「キングダム」が好きだという。
小澤代表は、山口さんを2年間で起業家の準備ができるNPOが主宰する「ベンチャー・フォー・ジャパン」の一期生として参加させた。外部の力も借りながら、いい成長をして本人と企業の力になることが期待される。実際ここで出会う一流の起業人との出合いは大きな刺激になっているという。「将来、食の部門をしょっていってほしい」と小澤代表の期待も高い。
ビジネスの話を熱く語るなか、若者の顔がちらりとのぞいたのはグルメの質問だった。実は九州の祖父がイカ漁師という環境だけあって、釜石自慢の新鮮な海の幸は普通でしかなかった。その分魅了されたのがラガーマンが暮らす釜石の、ボリューミーな店。どでかいカツ、にんにくのきいたジャンボな餃子、シャリもネタも1.5〜2倍はありそうな海鮮の店の名が並んだ。「自分も男子なんで」と山口さんはにっこり笑った。
釜石という遠く故郷から離れた場所で、男飯を食らいながら、山口さんはビジネスに熱くトライしている。

シゴトに夢中な新社会人、笑顔はあどけない20代男子。

人生観を変えられた「キングダム」。落ち込んだとき、がんばらなきゃと思うときの処方箋。

地元の漬物の形状を変えた商品。PR動画にも登場する。食の分野を将来預けたいとの期待を受けている。